shrichangの日記

好きな漫画や小説の感想、オンライン講座、心の健康のことなど書きます。

休職していた会社を辞めました

 

長いこと休職していた勤め先を辞めました。

 

 

 

 

銀行本部に事務職として中途採用されたのは4年ほど前です。

それ以前に金融機関で働いた経験はなく

渉外法律事務所での翻訳経験とTOEICスコアで採用されたように思います。

 

 

 

入行後、研修が終わってもしばらくの間は決まった仕事がありませんでした。

 

配属先は与信審査関連の部署で

常にピリピリとした緊張感が漂っている。

 

最初は自分の席がなくて、なぜか全然違うグループと一緒に座っていました。

 

 

 

それから、徐々に書類の英訳を担当することになります。

行内では外ではあまり見かけない専門用語や略語も多く使われていて、最初は日本語の意味自体がわからなかった。

 

 

勉強することは苦ではなかったので、イントラで調べたり

本を読んだり、時間があるときには上司に教えてもらって

少しずつ慣れていきました。

 

 

入ってみて驚いたことは

総合職・事務職などの職種ごとに一緒にお昼を食べる習慣です。

 

全員ではないですが、年齢や席が近い決まったグループで行内食堂に行く。

総合職の人たちは麺類などをさっと食べて仕事に戻る。

 

 

 

私はそのときマクロビオティックを試していたので、お弁当派。

普段は空き部屋でひとりで食事して、たまに友人とランチをするくらいでした。

 

 

 

 

 

 

 

働き始めてしばらく経ったある日、左脚に痺れを感じて整形外科を受診したところ

椎間板ヘルニアと診断されます。

 

数ヶ月間休職して治療に専念することになりました。

 

 

復職後は、時短勤務で翻訳関連の仕事に復帰。 

翻訳チームのリーダーをしている女性職員の隣の席に移りました。

 

 

その先輩は、当初はフレンドリーで(なぜかレシピ本をくれたり)

仕事のこともいろいろと教えてくれ

 

やっと自分の居場所ができたように思いました。

 

 

しかし、思ったよりも私の時短勤務が長引いたことにいらだちを感じていたようで

 

忙しい時期に私が先に帰宅したことが気に障ったのか

翌日から目を合わせてくれず、挨拶を返してくれないようになりました。

 

 

そのときは

私に対して怒っているのか、それともたまたま余裕がないのかわからず

不安な気持ちを隠して仕事をしました。

 

 

 

「何か怒ってますか?」

と、今の自分なら聞けるかもしれませんが

当時は頭が真っ白になり何も言えませんでした。

 

 

その後も

仕事が忙しいときに昼食時間をずらして取ったことを怒られたり、

他の人には特に冷たい態度をとっている様子もなかったため

 

やっぱり私に怒ってるんだな・・・と察しました。

 

 

 

 

あからさまな嫌がらせ的発言はなかったので

自分の考えすぎ・・・?とも思い、上司や同僚に相談しませんでした。

 

 

 

 

 

仕事で話す相手はその先輩がメインだったため、息が詰まりました。

 

 

 

お腹の調子が悪く微熱がある、という日々が続いて

夜眠れなくなり

それでも出社しましたが、気分が悪くなり早退。

 

 

心療内科に行ったところ、うつと診断されました。

 

 

 

 

 

 

 

一人暮らしをしていたマンションを出て実家に戻りましたが

母は他界しており、父とは幼い頃から仲が悪かったため

家でも息詰まる感覚が抜けませんでした。

 

 

夜眠れなくて

友人と電話で話したり

感謝日記をつけたり

ヨガをしてみたり

  

 

前向きな考えでいるように努めましたが、心身の不調は抜けませんでした。

 

 

 

会社に戻るつもりはなくなり

進学することやフリーの翻訳家を目指すことなども考えました。

 

 

 

 

当時の日記を見返すと

孤独感や不安でもがいていた感じが伝わってきます。

 

 

 

家を出て

信頼できるカウンセラーさんと定期的に話し

溜め込んでいた自分の感情を吐き出すことを繰り返して

 

生きることに対する絶望感や人間に対する不信感はすこしだけ薄らぎました。 

 

 

 

 

本当に不調なときは退職することすら考えられないほどでしたが

ようやく辞めることができました。

 

 

 

f:id:shrichang:20200216151204j:plain